「いじりすぎ」
2018年5月8日火曜日
いじりすぎ
クレヨン牧師のミニエッセイ
「いじりすぎ」
生まれて始めて《点滴》というものを経験しました。病院にお見舞いなどにいくとよく見かけていましたが、自分がするとは夢にも思っていなかったのです。 診察してくださったお医者さんが「これでは物が食べれないでしょう。時間があれば点滴しませんか。そのほうが治りもはやいですよ」との言葉に、返事もできない私はただうなずいてお願いしました。しかし、なにぶん初めてのことなので、「痛いかなあ」「気分悪くならないかなあ」「途中でおしっこに行きたくなったらどうしよう」「寒くないかな」などと心配していましたら、それはみんさんプロの集団なので、暖かくしてくださるし、親切にしてくださいました。
ところが、始めのうちはよかったのですが、時間がかかるのでヒマになってきたのです。何をすることもなく、聞いちゃいけないと思いつつ、人の診察に聞き耳を立ててしまいました。すると案外耳をいじって炎症を起こしている人が多いことに気が付きました。「先生、耳が痛いのですが」というほとんどの患者さんに対して「耳をいじりすぎていますよ」と答えておられました。ある方など、「でも毎日さわらないと気持ちわるくて」と。へんにいじくり回すといけないこともあるものだと、点滴を受けつつ思いました。
信仰も同じですよね、へんにいじくりまわすと心に炎症を起こしてしまいます。与えられた信仰は与えられたままに受け取るのが恵みというものです。
「いじりすぎ」