「毎朝のリズム」
クレヨン牧師のミニエッセイ
「毎朝のリズム」
次女・愛美の朝は、台所へ行くことから始まります。始めは気にならなかったのです。ところが、起きたらすぐに台所へいく姿を見て、いったいそこに何があるのか確かめてみたくなりました。
ある日のこと、朝起きてきたのを幸いに、後をこっそりついていきました。すると愛美は、トコトコと台所へ行き、なんと自分の弁当を覗いていたのでした。つまり、彼女の毎日は、自分のお弁当に何が入っているのかを確かめることで始まっていたのでした。わりと好き嫌いがある方なのか、自分の嫌いなものが入っていると抗議をしてきます。また、彩りとかを注文したり、とにかくうるさいのです。
さて、私たちは毎日何から始めているでしょうか。自分のことを考えてみると、やっぱり新聞を読むでしょうか。そしておもむろに洗顔でしょうか。つまり、毎日のリズムなどは忘れているようなものです。忘れてもできるからリズムよく動けるのかもしれません。
礼拝もリズムだと言われます。「今日こそ行くぞ」も必要ですが、自然とそこに座っているというのが本当の礼拝といえます。生活のリズムとしての礼拝ができれば、負担になることから解放されそうです。しかし、人間はすぐにリズムを壊してしまうものなのですよね。