2020年1月21日火曜日

「いくつあっても」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「いくつあっても」

 先週1枚の御案内はがきをいただきました。ブテックの春ものの案内です。自分にはあまり関係ないなあ~と思いつつ眺めていました。するとその中に不思議な一文をみつけて、その解釈にとまどってしまいました。その一文とは・・・。

 「特に、タンスの中がいっぱいの方におすすめいたします」というものです。

 新しい洋服のセールなのです。不思議なのは、タンスの中がいっぱいならば、もう買う必要はないのです。もっと無駄遣いをしませんかというものでもなし、もうこれ以上買う必要のない方へのお勧めかなとも考えてしまいました。しかし、それでは宣伝にならないのでは。この真意は何か。逆効果をねらったものか。

 そこへある方がきて教えてくださいました。「好きなものはいくつあってもいいもんでしょう。タンスの中がいっぱいでも、もっといいものがありますよという意味ですよ。先生ははじめからよけいな、いらないものという考えでしょう。たとえばパソコンをすでに持っていても、また新しいパソコンがほしいでしょう。好きなものはいくつあってもいいんですよ」と。納得できたような、そうでないような。

 どの視点、どの場所、どこに立つかは重要な問題です。いったい自分はどこに立って考えているのか。その場所が違うと、わかる話しもわからない話しになるのですね。私たちは神さまの御言葉、すなわち聖書の上に立っています。そこだけは、ここにいらっしゃるすべての方々に共通する部分です。考え方はそれぞれでも、ある一点では一つになれるということは素晴らしいことです。ただし、聖書(みことば)の上に立つには、御言葉を愛し受け取っていなくてはなりません。こころは御言葉でいっぱいだけれども、まだ御言葉は必要なんでしょうねえ。わかります?