「共にいる」
マタイ 28:20 わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。
「ルーテルさんはいつまでやるの?」。これが最近よく聞かれる言葉です。震災後百日を迎えました。多くのNPO,NGO団体が帰っていきます。緊急支援は3ヶ月ということを決めている団体もおおいです。いろんな意味があります。いつまでも一緒にいて支援を続けると被災者の自立を妨げるとか。資金面でこれ以上活動できないとか。これからは長期戦になり、目的がしっかりしていること、資金力があること、人がいることが大切なポイントかもしれません。そんな中でルーテル支援は期間を決めているか。これ以上の活動をするとなれば、ルーテル教会として大きな覚悟を決めたということです。そうであれば大きなことはできませんが、寄り添い続けていくことがルーテルの使命だと思います。
イエス様が弟子たちを派遣され、天に昇られる前の最後の言葉です。この地上で会うこともできないイエス様の言葉は約束になっています。天に昇っていくが、最後まであなたたちと共にいるという約束です。この約束ができたちを勇気づけたのです。共にいてくださるということがどれだけ弟子たちに力をあたえたことか。それはその後の弟子たちの宣教をみればわかることです。
まだ子どもが幼い時のことでした。長女が耳が痛いといって私の枕に近づいてきたのです。前日の三時ごろ寝たものですから、その声がうるさくてたまりませんでした。あまにりもしつこく「痛い、痛い」というものですから、ついカッとなって怒鳴りました。「いまどうすることもできない。静かに寝てろ」と。ところが次の日、車を運転しながらある声を聴いたのです。「娘さんは、お父さんならこの痛みを受け取ってくれると、信頼して枕に近づいてきたのではないのかな」と。私たちはどれだけ人の痛みと共にできるでしょうか。あの朝、どうして神様に痛みを取りのけてくださいと、娘と祈れなかったのか。心から悔い改めをしたのです。やはりキリストといつも共にいなければ、人の痛みを感じることはできないのではと思います。
イエス様は「世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と約束してくださいました。この御言葉が私たちを力づけます。人はみな去っていくかもしれません。しかしイエス様は永遠に共にいてくださるのです。共にいて下さるイエス様がおられるから、私たちはこの世でしっかり生きていくことができるのです。