2019年6月19日水曜日

「名前はその人自身」

阿久根ルター君の朝のみ言葉

「名前はその人自身」

ヨハネ 10:3 羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。

パレスチナ旅行のとき、羊飼いの人たちに会うチャンスがありました。彼らは2千年前と同じ方法で羊飼いをしているというのです。移動式のテントにすみ、羊と一緒に暮らしています。イエス様が言われたように羊に名前をつけているのです。だいたい100匹位を一人で世話します。その名前を全部覚えているのです。また羊の名前の付け方も、その羊の弱さを名前にしているといいます。右目が不自由ちゃんとか、左足が動かないちゃんとかです。その羊の弱さを全部知っているのです。

イエス様は「羊飼いと羊」のたとえで、神様と私たちの関係を話されました。イエス様は「よい羊飼い」であると言われました。その羊飼いは、門からやってきて、11匹の名前を呼んでつれだし、先頭にたって野原につれだすのです。この名前を呼んでというところに、神様と私たちの深い関係があります。神様は私たちの名前をよく知っておられます。その名前で招いてくださるのです。その名前は神様しかわからないものです。しかし、一人一人を大切にするがために、名前で呼んでくださいます。

広島教会の最長老の姉妹が満百歳を迎えられたときのことです。一口に百歳といっても、私にとっては遙かかなたの数字に思えます。この百年の年月には、たくさんの出来事が詰まっていることでしょう。いくつもの戦争があり、広島の原爆、その後の復興があり、現代社会の荒波の中で生きておられる。その一つ一つの場面がすべて、百年のひとこまです。楽しかったこと、苦しかったこと、喜び、悲しみ。どれをとってもすべてが姉妹の百年だと思います。それらすべてを物語っているのは、静かに歩むそのお姿そのものだと言えます。ある時訪問したときの言葉です。「いまでも、毎朝、子ども、孫、曾孫、玄孫の一人一人の名前を呼んでお祈りするんですよ。それが楽しみです」と教えてくださいました。百年の歳月を神様と共に生きてこられた姉妹の一生は、やはり祈りにあるのだと実感した時でした。

イエス様は「羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す」と言われました。名前をすべてその人の弱さもすべて覚えているのが羊飼いだと言われたのです。もし名前を呼び間違えたとしたら、羊は羊飼いのことを信用しなくなるでしょう。イエス様はよい羊飼いです。私たちの名前をすべてご存知です。それは名前だけの問題でなく、私のすべて、私自身を知っていてくださるということです。そこに安心があります。