2019年6月10日月曜日

「賢い僕となる」

阿久根ルター君の朝のみ言葉

「賢い僕となる」


ルカ  12:42 主人が召し使いたちの上に立てて、時間どおりに食べ物を分配させることにした忠実で賢い管理人は、いったいだれであろうか。

「呼吸を合わせる」というカウンセリング療法があると聞きました。呼吸を合わせるとどうなるのだろうと思います。どうやったら呼吸を合わせることができるでしょうか。高校の授業で柔道で黙想の時に高級を合わせることを習った以外経験したことがありません。しかし、その数少ない経験の中に「呼吸を合わせる」と言うことの大切さを教わったように思います。ただとても難しかったという記憶がある程度です。禅の修行の中にも呼吸を合わせ、整えると言うことを教えてもらったこともあります。

イエス様は、おわりの時に備えて「常に目を覚まして待つ」ことを、「目を覚ましている僕」のたとえで教えられました。主人がいつ宴会から帰ってきてもいいように準備し、目を覚ましている僕は幸いであると言うのです。ユダヤの夜の時間は3分割されており、夜、真夜中、夜明けとなります。そのとき、時間通りに仕事をすることの幸い、そして主人がそれを知る幸いを語っています。

ある主婦のバスでの体験です。その主婦は毎日同じ時間に同じ場所からバスに乗ります。当然毎日同じ人と出合うことになります。彼女にとって一番印象の強い人は、4番目のバス停で乗って来る、盲導犬を連れた女の子でした。彼女と盲導犬は乗車すると、決まって扉のすぐそばの席に座ることが習慣でした。ですからいつも乗る人々は決してそこの席には座りませんでした。ある時、中年の男性が乗ってきました。その男性はその席に腰掛けました。主婦の心のなかは複雑でした。その席にはあと二つ目のバス停で盲人の女の子が乗って来る。その男性に言うべきか言わないでおくべきか迷いました。一つのバス停がすぎ、次ぎのバス停が近づいてきました。次ぎのバス停の少し前にきたときその男性はすっと立って違う席へ移動したのでした。バス停ではいつもどおり、盲導犬をつれた女の子が乗って来ました。そして手で座席に触れ、誰も座ってないことを確認してゆっくり腰掛けたのでした。誰もなにも言わないけれど、みんなの善意がこの席を暖めていたという話です。

イエス様は「時間どおりに食べ物を分配させることにした忠実で賢い管理人」と言っておられます。主人のことをよく考えて行動している僕の話です。自分のことばかりでなく、神様が何をされようとしておられるか。私達はなにをするべきなのか。神様に忠実な僕とは何かを考えて生活していきたいと願います。