「何かが違う」
クレヨン牧師のミニエッセイ
「何かが違う」
澤木興道老師の「禅を語る」という講演集があります。その本の冒頭に次のような話しが書いてありました。
「スイスにはアルプスに登る山路が幾本かある。その途中の山小屋には鍵がない。寝具、食料、燃料まで完備しておる。これを使用する者は、備え付けの定価表によって、計上して銭袋に入れる。それに誤算はない。それが出来ぬ時は麓の郵便局で支部に送る。これで間違わない。しかるに、イタリア口よりの登山道ではまったく成り立たない。スイスもイタリアも、人というには変わりがないのに。日本でも、スイスの真似をしてみたら、銭箱ぐるみ引きちぎって逃げられたそうな。山も小屋も同じであるのに、どうして人間だけが違うのか」と。
よく農村で「信用商売・お金はこの中へ」と書いて野菜と箱を見かけます。しかし、そこの管理者の方に出会うと「私は人間不信です」という声を聞きいたことがあります。いったいなんでそうなるのかなと思っていました。
同じ人間でも何かが違うということでしょう。その「何か」が一番大切なことだといえます。今日はペンテコステです。弟子達は聖霊を受ける前も後も同じ人間です。しまし、「何か」が違うのです。その「何か」を私たちももっているのだと思います。しかし、その「何か」は神様のものであることだけは確かです。