2018年2月6日火曜日

「携帯電話神経症」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「携帯電話神経症」
 
 どうも最近ある病気になってしまいました。それは「携帯電話神経症」です。この病気の特徴は、電話から解放されないことによる神経症です。まあ勝手に私がつけた病名ではあるのですが。
 
 携帯電話を持つようになって、便利な面と不自由な面と両方あります。便利な面は、どこからでも電話できるし、どこにいても本人がつかまる。これは、いろいろなことが即決できるという便利さがあります。教会においては、常に信徒の皆さんに対応できるということです。
 
 さて不自由な面。これはどこにいても電話に出なければならないということです。たとえば、そこが運転中の車でも、電車・バスの中であっても、そしてトイレで用を足していてもです。またいつかかってくるかわかりませんから、電話を離せないのです。この電話を離せないということは、仕事から解放されないことを意味します。最近の失敗は、松岡牧師の携帯電話になにげなく「いま元気?」とかけたところ、松岡牧師は威厳のある声で「元気だけど、いま火葬場」と。これは困りました。また、よるカラオケで歌っている時に、悩みの相談などなど。これでは神経症になるわけです。電話を見るのが怖くなります。
 
 しかし、神様ってすごいとも感じます。祈りによっていつでも人の思い聞かれるのですから。神様は「祈り神経症」にはならないのです。