2018年1月25日木曜日

「ねばならない?」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「ねばならない?」
 
 この世の中けっこう「こうでなければならない」が多いように思えます。またけっこうこの思いによって縛られて自由でない方が多いのも事実です。
 
 先日も結婚式の相談の電話がありました。相談といっても、バージンロードを誰と歩くかという相談です。電話は新婦のお母さんからで、「娘は私と入場したいと言ってますが、これはやはり父親でなければならないのでしょう。しかし、父親は10年前に他界しておりますので、やっぱり男の伯父でなければならないと思いまして」という相談です。答えは簡単。「一応『父親』となっていますが、そうでなければならないことはありません」です。
 
 しかし、お母さんは「やっぱり男でなければならないのが常識ですよね」と言われるのです。それを聞きながら「ねばならない」って人を縛るものだと考えていました。そのお母さんに牧師として答えようと思い「娘さんはお母さんと歩きたいのではないですか。そこには娘さんの感謝の気持ちや、願いや、愛が含まれていると思いますよ。その気持ちを大切にしてあげてください。娘さんはお母さんと共に歩きたいのですよ」と答えました。
 
 主イエスも私たちを縛られません。こうありたいと思う私たちの心を大切にして共に歩んでくださるのです。