2017年12月21日木曜日

「抱かれていると知ってても」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「抱かれていると知ってても」
 
 九条武子さんの歌に次のようなこのがあります。
 
  抱かれてあるとは知らず 愚かにも
 
   我 反抗する 大いなる手に
 
 久しぶりに、日本ルーテル神学大学(現・ルーテル学院大学)へいってきました。全国の中高生キャンプが今年は東京で行われたからです。私にとって神大は母校ですが、いつまでも忘れがたいのは八年間を過ごした「ルター寮」です。いまでは女子寮となってしまった懐かしい部屋を見上げながら、よくあれだけ反抗したものだと感慨深くなりました。
 
 神様との格闘。負けることはわかっていても、どうしても反抗したくなる時があります。「神様は実はいない。助けてくれない。信じている人は弱いからごまかしているだけ・・・」などと、神様を否定しようと努めるのです。しかし、最後にはとらわれてしまい、降参することになります。それでいいのですが。
 
 私たちは神様から抱かれている存在です。逃げられないのです。神様に「私の全てをお願いします」と明け渡したときが、本当の救いの時なのです。安心してジタバタできる信仰ということです。