「何をしてほしいのか」
クレヨン牧師のミニエッセイ
「何をしてほしいのか」
たまにですが、愛美は夜中に泣き出すことがあります。大抵は喉が渇いたので牛乳をほしがります。ところが、ごくたまに何で泣いているのかわからない時があります。きっと自分でもわかっていないのだと思いますが、これは親としては困ったものです。「これをしてほしい」というものと、それが言える相手があるのは幸せなことです。
阪神大震災のお手伝いをさせていただいている時、毎日全壊した家の前に立っているお年寄りを見かけました。何をするでもなく、ただ毎日同じ場所に立って呆然としておられたのです。声をかけてみましたが、「何をどうしていいのか、さっぱりわからないのです」と言われました。
主イエスは癒しを願う人に、「何をしてほしいのか」と言われました。私たちは何と言うでしょうか。本当に求めてくる者に、主イエスはその心の深みにある願いをいいなさいと言われるのです。どうでもよいこと、どうでもよくないことを判断して申し上げなければなりません。
全壊した家の前に立つお年寄りは「家庭の匂いを返してほしい」といわれました。人間の生命線がそこにあるように思います。