「 悔い改め」
クレヨン牧師のミニエッセイ
「
悔い改め」
ある歴史雑学の本に、アレクサンダー大王のことが書かれてありました。アレクサンダー大王といえば、全世界を自分の手に治めた王です。
その雑学の本には、「アレクサンダー大王は、当時の世界を自分の手の中に握っていた。その彼が死ぬとき、『われを葬るときに、わが両手を開いたままで、棺の外にだしておいてくれ』と遺言したそうである。天下を握ったと思った手に、実は何も握っていなかったことを知った、というなぞなぞだったのだ」と書かれてありました。
この本を読んだとき、さすがに天下を統一する人は違うなと思いました。しかし、よくよく聖書を読めば、神様に従った王様はダビデをはじめとしてすべて謙虚であることに気がつきます。実は全てを手に入れたと思ったときに罪を犯しているのです。
神様の前で謙虚になる時はどんな時でしょうか。それは全てが自分の手ではどうしようもなくなった時です。そこにくるまでに人は分からないのです。
ところがもっとも謙虚にならなければいけない時があります。それは全てが順調にいってる時です。「いま神様がなさっている」「これをしてくださっているのは神様だ」と感謝し、ひれ伏すことです。もしそれができないのであれば、「悔い改め」を祈るしかありません。