「教会の鍵」
クレヨン牧師のミニエッセイ
「教会の鍵」
「二十四時間教会の扉に鍵をかけない」ということは、私たちのこの地域への挑戦です。また神様への信頼でもあります。この信仰がいま問われています。
献金が盗まれてしまいました。さらに続けて献金箱が盗まれてしまいました。二十四時間鍵をかけないことを始めたのは、五年前のことでした。それからいままで何も起こりませんでした。しかし、このことは覚悟の上でそうしてきたはずでした。
いざ起こってみると、いろいろな意見が出てきます。「鍵をかけない教会に責任がある」「お金をこまめにあつめない牧師・役員に問題がある」「せめて牧師室だけは鍵をかけるべき」「盗んで下さいと置いてあることが問題だ」「教会を開放するのが間違い」「鍵はかけるべき」と。
どれもこれももっともです。しかし、どれもこれも間違いです。私たちが鍵をかけないときめたのは、神様の働きのためでした。人のためではなかったはずです。人を誘惑に陥れるためでもありません。神様の栄光があらわれるためでした。
「ほら、やっぱりそうなった」と思われるかもしれません。そう思われたら、教会のために祈ってください。まだしばらく鍵をかけずにいたいと思っています。