「十字架の歳となって」
クレヨン牧師のミニエッセイ
「十字架の歳となって」
八月三十一日で「三十四歳」になりました。朝起きて鏡の前に立ち、不思議な感じがしました。自分がこんな歳になるなんて思ってもみなかったからです。しかも、実は主イエスの十字架の歳と重なったことがわかったからです。主イエスが宣教に立たれたのは、およそ三十歳だったと聖書に書かれてあります。それから三・四年が活動期間でしょうか。すると私の歳が十字架の時となります。主イエスがこの世で生活された歳まで生きてしまったという感慨があります。
自分が十字架の歳になって思うのは、主イエスの成熟度のすさまじさです。やはり神の子イエスです。いままでは遠いイメージとして捉えていた十字架がすぐそこに感じられました。そして、主イエスは神様なのだという確信が与えられたのです。
主イエスの救いは完全です。あの十字架で終わったわけではありません。すると、私達が主イエス以上に生かされているということは、主イエスの救いを完全に受け継いでいくことが役目なのだと言えます。それを、まだ主イエスを知らない方々へ伝えていくことなのです。
新しい命としての「三十四歳」を迎えました。このとき、また再び新しい気持ちで宣教へと立ち上がる信仰を受けました。感謝。