2017年7月24日月曜日

日曜日の夕方の飛行機で

阿久根ルター君の朝のみ言葉

「日曜日の夕方の飛行機で」

マタイ  20:11 それで、受け取ると、主人に不平を言った。『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』

イソップの話です。「神が、いいものをみんな、酒がめにつめてふたをしてから、ある人にやりました。その人は、がまんできずに、なにがはいっているのか見ようとして、ふたをとりますと、中にはいっていたいいものが、神さまのところへ、飛んでいってしまいました。しかし、おおいそぎで、ふたをしたものですから、希望だけは残りました。そこで希望だけが人間のところにいて、にげていったものがいまにまたくるといってきかせるのです」。希望だけが残ったという話は、滑稽なようでいても、心にずしりというものを感じます。私たちは見なければいけない事実から目をそらしてはいけないと思います。

 イエス様は「ぶどう園の労働者」のたとえを話されています。これも理解するにはよく考えねばならない話です。朝から雇われ真面目に働いた者と、最後の1時間しか働かなかった者が、主人の思いから同じ賃金を受け取るというものです。しかし、これは天の国のたとえ話ですから、神様(主人)の御心はどこにあるかを考えねばなりません。自分のことばかりしか見えてない者には「不平」しかないのです。

 事務局に勤務していた時の話です。日曜日の夕方、地方から羽田への便はいつも満席です。雰囲気的も「明日から仕事か~」とか「旅行も終わりだな」とか疲れている感じです。そんな時、乗客からの不満が多く聞かれます。結構、自分勝手な人たちが多いものです。昨日も「なんで満席なのに空席があるの」と乗務員さんに怒鳴っておられる人がいました。どうもキャンセルがでず、同行者とは別々の飛行機になったのでしょう。たまたま、自分の前に大物政治家の方がおられ、その横がひとつ空席だったので、政治家を優遇しているように思えて腹が立ったのでしょう。その後、どのような説明がなされたかはわかりませんが、そのやりとりを聞いている政治家さんも大変だなと思いました。

 イエス様のたとえ話の中で、不平をいった労働者の意見もわかります。1時間しか働かなかった者と同じ賃金では割が合わないからです。しかし、初めの約束は何だったか。主人の思いは何であるか。を考える余裕があれば不平を言わずにすんだかもしれません。怒鳴っていた乗客の方もきちんと説明をされたら納得なれたでしょうが、怒鳴ることによってまわりに与える影響は?と考えてみてもよかったかも。