クレヨン牧師のミニエッセイ
「こんなことなら」
中国の昔話「笑林」に次のようなものがあります。
ある人が道を歩いているとき、けつまずいてころんだ。やっと起きあがって、いくらもいかないうちに、またころんでしまった。
その人はカンカンになってののしった。
「ちくしょう。こうと知っていれば、起きあがらないでいたのに」
よく考えてみると、笑えない話かもしれません。「私の人生ぜんぜんいいことない。こんなことならクリスチャンにならなきゃよかった」という人もいます。「こんな結果なら祈らなければよかった」という人もいます。しかしはたしてそうでしょうか。
神様は願いを聞いてくださいます。しかし、それは御心にそって聞いてくださるのです。もし、自分勝手な願いごとをいつも聞いて下さった、それこそ傲慢になり自分を神様とするような重大な罪に陥ってしまうでしょう。試練や聞き届けられない祈り、それは神様の愛がそうなさるのであって、私たちが道(キリスト)を踏み外さないようになさるのです。