共に祈る恵み
クレヨン牧師のミニエッセイ
「共に祈る恵み」
子どもを叱っていると、自分がむなしくなってきます。「人格の未熟な親ほどよく子どもを叱る」の言葉を思い出すのです。
最近、娘・華美がイライラして、いつも怒ってばかりいました。きっと親に十分遊んでもらっていないのが不満となっているのだと思いました。そこで一緒に遊ぶことにしたのです。それでもなおイライラはとまらず、とうとう同じように怒ってしまいました。はじめは「いい加減にしろ」からはじまり、だんだんエスカレートしていきました。手はでないものの、グジグジとなってきます。この辺で終わればと思いつつ、歯止めがきかないのです。そして、「叱っている自分はどうなんだ」という心の声を聞いて悲しくなったのです。
「このままではいけない。しかしどうすればいいのか」と迷いつつ、礼拝堂へいこうと思ったのです。華美も反省しているらしく、礼拝堂へ行こうと言えばついてきました。そして二人でざんげの祈りをしたのです。華美は、「神様。イライラしてごめんなさい。ゆるしてください」と祈りました。私は自分の未熟さを祈りました。
主イエスを中心に向かい合うことができるのは、本当に感謝です。これからもいろいろな衝突があるでしょうが、共に祈ることができる。それが私たちの信仰の宝だと言えます。