マタイ 6:29 栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
坂村真民さんの詩に次のようなものがあります。「今を生きて咲き 今を生きて散る花たち 今を忘れて生き 今を忘れて過ごす人間たち ああ 花に恥ずかしい 心痛む日々」。何の解説もいらない詩です。
イエス様は山上の説教の中で、「思い悩むな」のテーマのもとに「命」のことを話されます。自分の命のために「何を食べようか」「何を着ようか」と思い悩むなと言われるのです。何をするかが大切ではなく、一番大切な「命」そのものを考えよと言われるのです。その「命」を支えておられるのは神様であり、神様が私の命のための働かれるというのです。そのたとえ話の一つに「野の花」の話をされました。
ふと足を止めてみたくなる小道を発見しました。その小道は柳井から田布施へむかう道の途中にあります。昔はたんぼの畦道だったのでしょうが、いまは小さな舗装道路になっています。その小道はたんぼの間を一直線に山へむかっているのです。それだけなら足を止めたくはないのですが、なんとその小道は道の両側に花が咲いているのです。たぶん水仙の花だと思うのですが、片方には白い水仙が一直線に咲いています。もう片方には黄色の水仙がこれまた一直線に咲いているのです。山に向かう約500㍍ほどでしょうか、それはもう水仙の滑走路のようにただひたすら真っすぐに咲いているのです。なんとすてきな小道なのかと、つい車からおりて歩いてみました。とてもすてきな気分になり春を満喫しました。神様が創造された世界の美しさ、そしてそれを保たれる愛を感じました。花もそれに応えているように思えました。
イエス様は野の花を見せながら「命」について語られました。思い悩むより神様が守っていてくださることを信じなさいと言われるのです。今を生きるということは、神様の守りの中で感謝して生きるということです。求めるものは食べること、着ることではなく、今を生き、今を生きて散るために必要な神様の国と神様の義だと思います。