出会いの存在
クレヨン牧師のミニエッセイ
「出会いの存在」
マカオに住んでいる信友(親友)が、水晶を送ってくれました。気功の本を読んでいて、水晶のことがよく書かれてあるので少し興味を持っていたところでした。そのうちに電話でもして送ってもらおうと考えていたら突然届いたのでした。なんでも聞いてみると、「たぶん水晶を送ってくれというだろうから、一年前に買ってあったんだよ」といわれました。
自分のことをよく知っている人の存在は、恐ろしくもあり、安心もします。何を考え、何をしようとしているのか、良くわかってくれている存在。その存在は適切なアドバイスをくれる存在です、また助けてくれる存在でもあります。
私と彼との出会いについて考えるとき、キリストがその間におられたことは実感できます。たった一年間の神学校での出会いでしたが、そのころよく信仰について語り合ったことを覚えています。真剣にキリストについて語り合った中だからこそ、その後も真剣に向き合う存在となれたのだと思います。