2016年12月13日火曜日

非難されないように


阿久根ルター君の朝のみ言葉

2コリ 8:20 わたしたちは、自分が奉仕しているこの惜しまず提供された募金について、だれからも非難されないようにしています。

ボランティア活動で募金をする場合、大切なことがいくつかあります。それは「何のために必要か」「いくら集まったか」「それをどのように使ったか」を誰にでもわかるように公表することです。この中の一つでも欠けると疑惑をもたれます。集まったお金を、自分たちのためにつかっているといった非難中傷を良く聞きます。せっかく素晴らしい活動なのにと思いますが、3つのうちのどれかが欠けているのです。簡単なことですが、公表することは信頼を生むことです。また第三者にみてもらうことはもっと確か信頼を生みます。監査というのはそういうものです。募金活動は信頼されることが一番大切です。

8章16節以下には、募金を呼び掛け、集金し、保管するという務めをしていたテトスのことが称賛されています。またテトスと同じように諸教会で選ばれた兄弟たちも同じです。パウロは、これらの人々は信用できる人柄であると述べています。しかし、パウロ自身に対しては彼の金銭的活動に身に覚えのない疑惑がもたれていたようです。そこで、テトスをはじめコリントでも良く知られた人物を立てて身の潔白をしめしたのでしょう。

会議とは何か、その進め方を知るためにいくつかの本を読んでいます。「こうすれば会議は必ずうまくいく」という、アメリカで出版された翻訳本です。こういった内容の本は、以外と面白くためになります。この本から学んだことは、会議に置いて重要な役割を果たす人は2人であること。それは「司会と書記」。この2人は自分の意見を言ってはならず、その役目は「会議における交通整理」であること。なるほどと思いました。書記は出された意見をコンパクトにまとめ、壁にある模造紙にはっていく。その後、同じような意見をまとめる。会議にでているメンバーはそれをみながら、重複した意見は言わない。逆行しない。司会は一人でも多くの人の意見をきくように整理し、非難、中傷などはきちんと注意する。何回も同じ意見を言う人には、納得していただくように説得するなど。行き過ぎた非難は会議をだめにしてしまいます。

パウロは「だれからも非難されないようにしています」と言っています。パウロは、自給自足の立場をしっかり守ってきましたが、金銭的な問題で誤解されたようです。そこで募金活動においては非難されないことを心がけているのです。すべては公にされていること。それは神様が公にして下さっていることに感謝するということばで分かります。