「それでも寄り添って」
マタイ 17:6 弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。
熊本地震と東日本大震災の違いがあるとすれば、被災者の心のケアと自立支援だと思います。「恐れ」と「不安」の違い、家は残っているがこれからどうするという問題もあります。どうしてよいかわからない状況の中で、いま一生懸命に踏ん張っておられる方があります。しかし、それでも、これでもかと続く余震と大雨。もううんざりします。しかし、その中に私たちは神様をみる瞬間があります。
イエス様はエルサレムへ向かう前、タボル山で変容されたと聖書は記しています。そのとき、ペトロ、ヤコブ、ヨハネだけがそこにいました。真っ白に輝き、モーセとエリアと話しておられる姿を見た時、神様の言葉が聞こえてきたとき、弟子たちは「非常に恐れた」とあります。直接、語りかける神様の声を聞いたからです。その体験は弟子たちの心の中に深く刻まれています。受け取った出来事は、弟子たちにとって恐れとして刻まれたのです。
先週は大きな余震がありました。これまでも毎日のように余震はありましたが、最近では久しぶりに特に大きく揺れました。もっとも恐怖だったことは「大雨・洪水警報」が出され、各地で大きな被害がでたことでした。被災者のみなさんは時間がさかのぼり4月14日16日が再び心の底から突き上げてくる状況におかれました。共に働いている被災者の方は、「もういや。もうたくさん。なんで地震や大雨がくるの」との叫んでおられました。復旧への道を歩み始めた被災者に、これでもかというくらい余震が続き、更に別の災害がおこる。そのたびにあの日がよみがえってくる。私たちも何もできずに寄り添っているしかない。毎日が痛み苦しみとの戦いなのだということを教えられています。やっぱり、それでも踏ん張るしかないのです。
イエス様は恐れている弟子たちの近づき、手を触れていわれました。「恐れることはない」。恐れる弟子たちに近づいて手で触れておられます。ここにイエス様の愛を見ることができます。恐れのなかにあっても、イエス様は共にいてくださるということです。手で触れてくださるというのです。私たちのとなりにいてくださるイエス様が恐れる人たちに触れてくださる。私たちはそう信じて寄り添っているのです。