2018年9月25日火曜日

「古本屋さんでクレヨンが」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「古本屋さんでクレヨンが」
 
 市内の他教派の牧師が訪ねてくださり、びっくりするようなニュースを教えてくれました。そのニュースとは「先生の書かれた『神様のクレヨン』を古本屋で見つけましたよ」というものです。本当にびっくりしました。
 
 古本屋に出回るようになったのか、と感慨深いものがあります。見に行きたいという衝動もありますし、いったい値段はいくらかなと心配でもあります。いろいろと想像して楽しみました。もしかするとルター先生の本と並べてあったりしてとか、バルト先生の横だったらどうしようとか。いやいや漱石の横かもしれないし、鴎外かも。いやいやゲーテだったらどうしようなどなど。それは楽しい時間を与えてくれたのです。
 
 たかが1冊の本ですが、私にとっては子どものようなものです。いまそれぞれの本はどのようになっているのでしょうか。家の中のどんなところに置かれているのでしょうか。そして、その本を通してどんな人生が送られているのでしょうか。そのように考えると祈らずにはおれません。
 
 聖書は私たちにとって命の本です。毎日読んでもいても新しい発見ができます。しかも、神様がいかに私たちを大切にされているかがわかるのです。聖書は神様の御言葉そのものです。その一つ一つが私たちを支えてくれるのです。いつもそばにある聖書は神様の御子キリストと同じように感じます。