2017年10月12日木曜日

「同じ言葉でも」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「同じ言葉でも」
 
 若手牧師研修会が、長野県の松本教会で行われました。この会は現職の牧師たちの自主グループで、神学校を八四年から八八年に卒業した十二名の牧師で構成されています。ということはもう若手ではないかもしれません。
 
 この研修会はとても楽しい会でもあります。また勉強するのが好きな会でもあります。今年のテーマは「原罪論の復興」でした。しかし、なにより夜の情報交換が楽しくてしかたありませんでした。その夜の語らいのなかで、ある牧師が恋愛時代の話しをしてくれました。
 
 「神学生だった自分は純粋で手も握ったことがなかった。あるとき公園のベンチに座っていたときに、何か言わなければいけないような気がしていたけど言うことがなかった。それでも思い切って『今一つだね(いま心が一つになっているね)』と言った。するとしばらくして彼女は、悲しい顔をしながら『私っていまひとつなの?』と言ったんだよね」と話しておられました。みんなで大笑いしました。
 
 同じ言葉でも、伝わり方が違うと大変なことになってしまうものです。自分はそう思っていなくても、間違って伝わっていくことがあります。さて、私たちは主イエスのみ言葉を正確に聞いているでしょうか。正確に聞き取るには何度も聞き返すことしかなさそうです。