「うな重が牧師に必要?」
クレヨン牧師のミニエッセイ
「うな重が牧師に必要?」
西教区牧師退修会が津和野で行われました。現代のキリスト教にとって津和野(キリシタン殉教の地)はとても意味深いところです。宣教二世紀に入ったルーテル教会にとって、西教区の牧師たちが津和野から宣教二世紀を踏み出すことに神様の導きを感じています。
さて、その牧師会の最終日は、「ドライブイン津和野」で昼食をとることになりました。それぞれに自由にメニューを注文してよいことになりました。誰が何を注文するのか興味深くながめていました。結果は中華丼・八宝菜定食・焼き肉定食・ハンバーグ定食・ざるそばが各一個づつ。圧倒的人気はうな重で十三個でした。
牧師はやっぱり体力勝負なのでしょうか。自然と体が求めているようです。神様はその人にいま必要なものをご存知です。そしてそれを求めるように導いておられるのでしょう。
あなたがいま無意識に求めているものは何でしょうか。祈りですか。御言葉ですか。愛ですか。お金ですか。食べ物ですか。しかし、求めても与えられないのならば、本当に求めなければならないものを求めていないからです。必要なものは信仰によって与えられるのです。