2017年5月16日火曜日

扉はいつも

クレヨン牧師のミニエッセイ
「扉はいつも開かれて」
 
 礼拝堂にはいつも不思議なものが落ちています。落ちているというのは失礼なのですが、いろいろなものがそこで生命を終わらせているのです。
 
 ある時はトンボが聖卓の上で死んでいました。なんと幸せなトンボだろうと思いましたが、フラフラと入ってきて出るに出られず、そこで命を閉じたのかも知れません。その他、蝿、カトンボ、クモ、ダンゴムシ、カミキリムシ、そして昨日はテントウムシがそこにありました。
 
 この昆虫たちは、いったいどこからやってくるのでしょうか。たぶん礼拝堂の窓や、扉でしょう。するとそこが開かれていることになります。
 
 教会はいつでも開かれている。それは昆虫たちのためだけでなく、多くの人たちのために開かれているのです。最近では教会で教室が行われているときは、礼拝堂の扉を開け「十字架」に光をあてています。たったそれだけのことからでも、主は人々に語りかけてくださるのです。
 
 私たち一人一人もまた、開かれたキリスト者となりたい。