気にしない
クレヨン牧師のミニエッセイ
「気を気にしてない」
気功がブームのときがありました。牧師たちの中にも気功を研究しておられる方もいます。私もちょっと本を買ってきて読んでみました。すると、これは奥が深いということだけはわかりました。なにせ中国三千年の歴史から生まれてきたものですから。
さて、その本によれば、私たちは様々な「気」に囲まれていることがわかります。「眠気」「気分」「元気」「殺気」「景気」「勇気」「気丈」「天気」「病気」「雰囲気」「活気」「気力」「英気」「鋭気」「精気」「生気」「邪気」「気体」「気合い」などなど。こんなに「気」に囲まれているのに、一向に気にしていないのです。
いろいろな牧師が、「聖霊」と「気」は同じであるといっています。私はそう簡単に言えないような「気」がします。どちらにせよ、それらを私たちが感じなくなっていることが問題だと思います。聖霊を受ける。それは聖霊を感じることでもあるのです。なんだか「呑気」なものですね。