何枚の煎餅が必要かな」
昔話しに次のようなものがあります。
「ある男がお腹がすいたので、お菓子やさんにいって七枚の煎餅を買いました。彼はさっそく、これをポリポリ食べました。一枚食べましたが、お腹はすいたままです。男は二枚目を食べました。しかし、お腹はグウグウいうばかりで少しも一杯になりません。三枚目、四枚目、五枚目、六枚目、と男は次々に食べました。それでも空腹のままでした。しかし、あと一枚しかないので、彼は七枚目の煎餅を二つにわって、それを食べました。すると、今度はお腹が一杯になりました。残った半分の煎餅を手に持ちながら、男はくやしそうにいいました。『なんだ。俺はバカだな。このたった半分の煎餅でお腹が一杯になるんだったら、前の六枚は食べなければよかったんだ』と。」
ちょっと読みでは、バカな男の笑い話です。しかし、これはお経のなかの物語の一つです。ということは何かの教訓を含んでいるんでいるのです。結局、今の自分はどのような道を通ってきた自分であるかを知らないということでしょうか。その道にあるひとつひとつの出来事が、それが試練や苦難、楽しさや喜びであってもいまの自分の平安を支えている。そのように読めました。
神さまはたくさん煎餅をもっておられ、次々に与えてくださいます。いったい何枚の煎餅が必要なのでしょうか。これでもかこれでもかと下さいます。最後の半分になるまでです。しかし、何枚いただいてもよいのですが、この最後の半分の煎餅は何かということが問題なのです。あなたにとってこの半分の煎餅とは何でしょうか。私にとっては、私の罪のための十字架、主イエスそのものだと信じております。