2020年2月26日水曜日

「チームとして」

阿久根ルター君の朝のみ言葉

「チームとして」
ルカ3:5 山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らになり、人は皆、神の救いを仰ぎみる。
あるスポーツのコーチから聞いた話です。「個人技が優れている選手が多いチームが勝つとは限らない。一時は勝利するかもしれないが、勝ち続けることはできない。チームには調和が大切。個人技が優れている選手も、そうでない選手も自分の役割を知り、全体が一つの目標に向かう時に強いのですよ」と。
洗礼者ヨハネが用いたイザヤ書の預言です。イエス様がこられると、平均化される?という意味のように聞こえてきます。でこぼこは平に。曲がったものはまっすぐに。神様は私たちと世界を平等にみてくださるという意味でしょうか。しかし私たちには能力の違いや個性があるのですが。
島根県六日市は7月が蛍の季節です。若い頃、六日市礼拝のお手伝いをさせていただきました。牧師になって10年を過ごした礼拝に、そこの人々の変わらない信仰に癒されるひとときでした。そして蛍。毎年楽しみにしていたこと。家族全員で見に行ったこと。幻想的な雰囲気の中で神様の恵みを感じたことを思い出します。蛍というのは不思議なものを感じさせてくれます。蛍はばらばらに光ることはありません。かならず同じリズムで光るのです。目が暗闇になれるまでその全体はわかりません。静かにじっと待っているとその数が増してきて、いつのまにか山中が蛍になっていくのです。
先ほどの洗礼者ヨハネの言葉を読んでみました。私たちは神様から賜物を頂いています。それを用いて生きていく役割を与えられています。その役割を知って、この教会のチームで働くときにすばらしい働きができるともいます。個人技にすぐれている人も、そうでない人も、役割をきちんと踏まえ調和をたもちつつ今日も神様から与えられた働きに励みましょう。