2019年12月23日月曜日

「祝福されたものを」

阿久根ルター君の朝のみ言葉
「祝福されたものを」
マルコ 6:43 パンの屑と魚の残りを集めると、十二の籠にいっぱいになった。
コンビニで大量のお弁当が捨てられるのを目撃しました。まだ食べられるものだと思いますが、会社のルールなのでしょう。娘のバイト先でも大量に残った食べ物を、バイトが持ち帰るのではなく廃棄処分となるとききました。いつもどうにかならないかと思います。食べ物を粗末にすると罰が当たると教えられてきました。捨てられる弁当を見るたびに、食物は神様が与えて下さる恵みなのにと思うのです。大量にある支援物資はこれからどうなるのでしょうか。
イエス様の奇跡に、有名な五千人の給食があります。イエス様は大勢の群衆をみて憐れみ、み言葉を語っておられました。時間もたち食事の時間になりましたが、その用意がありませんでした。そこでイエス様は、「五つのパンと二匹の魚で大勢の群衆に食べ物を与えなさい」と弟子たちに命令されたのです。その結果、五千人以上の人が食べて満腹し、残りは十二の籠にいっぱい残ったというのです。
先週もたくさんの支援物資が届きました。感謝です!「その日に届いた物資はその日の内に行き先を見つける!」その意気込みでネットワークをふるに用いています。コーヒーと喫茶セットは今日FBで支援願いがあったYMCAへ!避難所カフェのために早速旅立ち。アレルギーミルクは備蓄して必要な方の連絡待ち!どうぞお知らください!離乳食共々揃っています。車椅子必要な方、ルーテル教会救援に7台あります!これらの支援物資はみなさんの心がこもっています。気持ちが込められています。イエス様に押し出された愛がそこにあります。だから無駄にさせてはいけないのです。
イエス様が、五千人の群衆を五つのパンと二匹の魚で満腹されたとき残ったものがありました。しかしそれを人々はどうしたでしょうか。翌朝生ごみとして捨てたでしょうか。きっとイエス様が祝福された食物として持ちかえり、大切に食べたのでないかと思います。イエス様の手が触れ、祝福された食べ物だからです。そう考えるとすべての食べ物は神様が造られ、神様の手が触れています。無駄にしてないかと問われています。