「天罰ではない」
ゼファニヤ 1:18 主の憤りの日に地上はくまなく主の熱情の火に焼き尽くされる。主は恐るべき破滅を地上に住むすべての者に臨ませられる。
災害が起こるたびに、いろいろな宗教が天罰だと言いだします。私にも日本のこれまでの罪に対する天罰がくだったというメールが数通きました。そのメールは続けて、だから悔い改めて神様を信じるチャンスをいただいたというのです。教会にとっても宣教のチャンスだと。本当にそうかなと思います。日本に住むすべてのものが共に祈りつつ、この災害をどう乗り越えていくかです。天罰かどうかの問題ではなく、いま神様は私たちに何を求めておられるのかを聞き、それを実行していくことが大切だと思います
ゼファニヤは、主の憤りの日には、地上のすべては主の熱情の火に焼きつくされることを告げます。主の熱情は人間への愛と期待のゆえに、それに対する裏切りと背信に対して、焼きつくす怒りをもって報いると預言しています。なぜ主の情熱があるのでしょうか。それは人間がどういきるべきか、どのみ言葉に立つべきかの期待の故だと言えます。
今回も避難所でカフェデモンクが行われています。宣教を目的とせず、傾聴する喫茶です。傾聴するだけでなく、その心に寄り添うことを求められます。しかし、いろいろな宗教団体が入り込んでおり、宣教しようとしています。いまこそ天罰がくだったのだから悔い改めなさいと。しかしそれは寄り添いではありません。いま必要なのは、神様を信じなさいではなく、神様はともにおられると伝える事です。それが神様のみ言葉に従った奉仕だといえます。。
ゼファニヤは「主の憤りの日に地上はくまなく主の熱情の火に焼き尽くされる」と預言しました。もし神様の声に聞き従わないならば、ということです。私たちは人生における様々なことから自分の罪を見させられます。そのときに悔い改め神様に従う決心をするのです。神様は今回の震災を通して何を語っておられるでしょうか。具体的になにをせよ言われているでしょうか。神様のみ言葉から答えを聞きとり、それを実行していきましょう。