「聖書通読毎週5章」
クレヨン牧師のミニエッセイ
「聖書通読毎週5章」
今回は野外礼拝ということで、「神様のクレヨン」を休ませて頂こうと甘い考えを起こしました。ところが、インターネットのホームページで公開しているので休めないことに気がつきました。この文章を楽しみにしておられる方々から励ましのメールをいただいており、心強い限りです。
さて、10年近く「聖書通読」に努力しています。毎日5章が目標です。すると1年間で聖書1冊の通読ができます。最近では、旧約2章、使徒書1章、福音書1章にして何回も繰り返し読むことにしました。しかし、これはとても大変な作業です。リズムなんですが、何度「やめよう」と思ったことか。また、いつ読むかにもよります。寝る前に読むと、いつのまにか自然と眠っていることもあります。一番いいのは、朝の一仕事を終えて「ほっと」した瞬間ですね。BGMなんかあるともっといいです。
聖書通読はとても苦しい?作業ですが、これはとても恵みがある作業でもあります。なれてくるとスラスラと上辺をすべるようによみますが、それでも「はっと」する御言葉にであうのです。今年から新共同訳に変えて口語訳を読んでいます。いま、コリント人への第2の手紙を読んでいます。そこでパウロは次のように言っています。
「わたしたちはほかの人の地域ですでになされていることを誇ることはぜずに、あなたがたを越えたさきざきにまで、福音を宣べ伝えたい」
このパウロの言葉にどれだけ励まされたことでしょうか。「あなたがたを越えたさきざきにまで」私たちの教会は福音を宣べ伝えたいのです。教会の門を大きく広げて、教会から出かけていって、福音を宣べ伝えたいのです。そこに神様の豊かな恵みが満ち溢れるのでしょう。ということは、「神様のクレヨン」を休もうなんてとんでもないことでした。神様の福音がすみずみにまで・・という願いをもって。