2019年12月12日木曜日

「世界で一番小さいもの」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「世界で一番小さいもの」
 
 これだけは必ず読むという「マンガ」があります。コミックにすると、もう六三巻にもなるものです。牧師がマンガと言われそうですが、私などは何でも読んでみようという性格なので、結構マンガも楽しんで読みます。たまにはいいものです。
 
 さてそのマンガに、なぞなぞが書いてありました。
 
 「目が三つで歯が二本あるの、なあんだ」。答えは下駄。「一日中ゆげ出して口をとんがらせて怒っているもの、なあんだ」。答えは親ではなく、やかん。「明るくなればなるほど、小さくなるもの、なあんだ」。答えはローソク。
 
 なぞなぞなんて、とてもなつかしいものでした。ところがそのマンガの中には、なぞなぞがもうひとつ書いてありました。最後のなぞなぞです。「世界で一番小さいものなあんだ」。みなさんならどのように答えますか。
 
 世界で一番小さなものといえば、細胞とか粒子とか・・・。いろいろと真面目に考えてしまいますが、これはなぞなぞなのです。真面目に考えて答える人は、もう少し頭と心をやわらかにした方がよいかもしれません。私なども細胞とか粒子などと考えている位ですから、もっと余裕をもたなければならないかも。それでは、蚊の目玉、のみのうんち、針の穴なんてのはどうでしょうか。
 
 実はマンガでは、このなぞなぞを小さな女の子が必死で考えるという筋です。考えながらいろいろな出来事にぶつかります。お友だちとのケンカ、いじめ、夫婦ケンカや商売上の争い。それを通してまた「世界で一番小さなものなあんだ」というなぞなぞを聞かれます。すると彼女は「それは、人と人とのもめること」と答えるのです。
 
 キリストの愛を通して私たちが学ぶことは、人と人は妥協して生きていくのではなく、調和して生きていくということです。キリストにある調和です。人と人のもめごとを神様は望んでおられない。そうですよね。