2019年5月21日火曜日

「なにを考えるか」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「なにを考えるか」
 

 カトリックの黙想集「実る人生」に次のような文を見つけました。
 
 「外面の静けさと内面のあらしといった対照的な状態がよくあるものです。重要なのは、どこにいるか、ではなく、なにを考えているか、ということです」
 
 復活の朝、その知らせを婦人たちから聞いたペトロは走って墓を見に出かけています。ペトロにとってこの出来事は内面のあらしではなかったかと思います。十字架の上で死んだ主イエスがそこにおられないのです。外面上は静かな時間が過ぎています。人々は主イエスの十字架の出来事に打ちのめされていたのですから。
 
 ペトロは空っぽの墓をのぞいたとあります。そこには亜麻布しかありませんでした。このとき何をペトロは考えていたのでしょうか。大切なことは、この出来事を前にして何を考えることができるかということです。
 
 復活は私たちに喜びをもたらします。私たちもまた同じように復活させてくださる希望を与えてくださったのです。これが、救いの完成なのです。