「蒔こうよ種を」
マルコ 4:3 よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出て行った。
地方の教会を訪問しました。徐々に人がいなくなり、すでに礼拝出席10名の教会になっていました。礼拝のあと食事をしながら、この教会はあとどれくらい存在していられるかという話になりました。もって10年という意見が多く、みな暗い雰囲気につつまれました。そのとき一人の青年が次のように言いました。「イエス様の種まきのたとえを読んでいるのですが、収穫は大切なことです。でも、種を蒔かずに長年刈り入れを続けてきたせいで、種を蒔く必要性を忘れてしまったのではないかと思います」と。種を蒔かなければ収穫はありません。蒔かないところから収穫をしようとしているのが今の教会かもしれません。
イエス様が語られたたとえ話のなかでも「種まき人」は有名です。種まき人が種を蒔いたところ、道ばた、土の薄い石地の上、茨の中、よい土地の上に落ちたというものです。良い土地に落ちた種は、芽を出し、成長し、実を結びます。他の所に落ちた種は実を結ばないという教えです。イエス様はこの種のことを「神の言葉」であると言われました。すべてのものに蒔かれている「神の言葉」は成長し、実を結ぶと教えておられます。
野村克也元楽天監督の本を読んでいます。そこに「監督の大きさ以上のチームにはなれない」とありました。そのとおりだと思いました。監督の人間的な大きさが、そのチームの大きさとなるのでしょう。これを牧師のスケールの大きさが、その教会の大きさとなると読むと、なかなか厳しいものがあります。どんなチームでも上にたつものの大きさが問題かなと。どこまで状況を受け入れ、指示がだせるか。一番大切なことはどれくらいそのチームを愛しているかということかもしれません。
イエス様は「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出て行った」と言われました、この「よく聞きなさい」をいままで、種が落ちたところのことについて「よく聞きなさい」と言われたのだと聞いていました。しかし、「種蒔きに出て行った」という言葉についても言われたのかもしれません。教会の成長はやはりみ言葉の種を蒔くことからだと思います。