「聖水曜日・託す」
ヨハネ 19:26 婦人、よご覧なさい。あなたの子です。見なさい。あなたの母です。
十字架上の7つのみ言葉の第3は「婦人よ、ご覧なさい。あなたの子です。」というものです。
十字架の出来事の時、そばには3人のマリアがいました。その一人が母マリアです。イエス様は母マリアに、これからは弟子を子としなさいと言われました。そして弟子には、マリアのことを弟子の母として委ねられました。最後まで母と弟子たちを愛された姿を示されたのです。母というのは教会の比喩であるとも言われています。しかし、最後まで「愛」を示されました。
天に召された小泉潤牧師のから「自分を支えた遺言」の話をきいたことがあります。先生のお父さんは牧師で、戦後すぐの時代、食べる物がなく栄養失調で天に召されていかれたそうです。その父の病床での最後の言葉を教えてくださったのです。それは「私はまもなく天に召される。いいか、お母さんを最後まで世話をすること。兄弟仲良くすること」だったそうです。最後に長男である先生を布団のわきによび、母と兄弟を委ねられたのです。先生はその約束だけは最後まで、どんなことがあっても守らねばならないと誓ったそうです。そしてそれをされたのです。またもう一つ遺言の話もされました。慈愛園の施設長だった志垣先生は小泉先生を最後の病床に呼ばれ「潤、このままではルーテル教会は潰れるバイ。伝道に本気になる仲間をあつめよ」と言われたそうです。だから本気になって伝道する仲間を集めてきたと言われました。この二つは私に遺された小泉先生の遺言だと思っています。
イエス様は「婦人、よご覧なさい。あなたの子です。見なさい。あなたの母です」と言われました。どんな思いで、母に弟子を託され、弟子に母を託されたか。それは愛を示すためでした。その愛を私たちも受けています。十字架の上で、愛するという使命を委ねられた教会に私たちは招かれているのです。