箴言 8:5 浅はかな者は熟慮することを覚え、愚か者は反省することを覚えよ。
ある信徒の方から、教育部長あてに一冊の本が送られてきました。その本とは「ビジネスマナー・ポイント集」です。手紙には、「この本、役に立つよ。牧師はマナーと常識が大切です」と書かれていました。実は、牧師の常識のなさ、マナー欠如が深刻な問題なのです。はじめのころは、宗教家たるもの《非常識のなかの常識》こそ大切だと思っていました。神様のみことばを伝えることはそれ自体で非常識の中にあると思っていたのです。ところが、信徒の皆さんがおっしゃる《常識》とはレベルが違うことに気がついたのです。皆さんが問題にされる《常識》とは、人が生きる上でのマナーの欠如ということなのです。そしてもっと言うなら「知恵」を働かせないということのようです。マナーも知恵の一部だと言われました。
箴言8章の教えは「知恵」についてです。知恵が人格をもって語りかける形をとり、知恵自体が自己紹介や自己推薦をしています。面白いことに知恵自身が、その働きと成果について紹介していのです。その中でも知恵は、神様が天地創造をされたときに、すでに神様のもとにあったと告げています。
ある遊園地で「反省ザル(猿)」という芸をやっていました。むかし日光猿軍団の中で披露され、テレビで人気がでた芸だったなと思い出しました。あのときのキャッチコピーは「反省はサルでもできる」というものでした。その当時は笑ってみていましたが、よく考える意味が深い言葉でした。形だけの反省なら猿まねにすぎないという意味がこめられていたかもと改めて思ったのです。あの芸をみていた人たちもその事に気がついて笑ってみていたのでしょう。それを自分にあてはめてみることもありました。
箴言は「愚か者は反省することを覚えよ」といいます。また他の箇所では「心の中の板に書き記せ」と命じています。大切なことは反省すること以上に、それを覚え、心の板に書き記すことです。何回も同じ間違いをするのは覚えていないからです。「反省はサルでもできる」が、心の板に書き記し、常に覚えることが反省することの本当の意味なのです。