「おのずから」
2019年2月28日木曜日
「おのずから」
クレヨン牧師のミニエッセイ
「おのずから」
教会の会議に行く途中の新幹線のなかで、「桃李不言下自成蹊」という言葉に出会いました。う~んと唸りながら考え込んでしまったのです。この言葉は司馬遷が著した「史記」の中の「李将軍伝賛」に出てくる言葉です。
「桃李はもの言わざれども、下おのずから蹊(みち)を成す」という意味です。簡単に説明すれば、桃や李(すもも)は「美しく咲いたから、果実を美味しく実らせたからいらっしゃい」と自己宣伝などはしない。ただ、黙々とみずからの勤めとして精一杯花を咲かせ、あるいは実をみのらせているだけであるが、その美しさ、おいしさに惹かれて人々がやってくるので、下におのずから小径ができたというのである。きっとそういうことです。
読んでいた本の著者は続けて、人も商売も、いかなることも、いかに宣伝しても実がなければ人は集まらず、間違って集まっても、やがて去ってゆくであろう。だまっていても中身が本物なら、中身がゆたかならば、おのずから招かれずとも人は集まり、商売ならば繁盛してゆくものである、と書いておられました。
教会の会議で、「どうすれば人が集まってくるか」という声をよく聞きます。答えはでません。教会の中身が本物なら、おのずから人は集まってくるのでしょう。しかし、問題は中身の内容です。それはいったい何かと考え込んでしまったのです。それがわかれば教会はふたたび成長していくのですが。
「おのずから」
2019年2月27日水曜日
「有能な妻」
阿久根ルター君の朝のみ言葉
「有能な妻」
「有能な妻」
箴言 31:12 彼女は生涯の日々、夫に幸いはもたらすが、災いはもたらさない。
箴言の最終章は「有能な妻」についての格言で締めくくられています。人生における最大の幸福は、よき伴侶を見つけることだというのです。ここに登場する「有能な妻」は、料理や洗濯などの家事がよくできるというのではありません。彼女の働きは家の中の経済活動の中心です。生活全般の要の役割を担っています。そこでは、彼女がどのように生きているかが問われ、神様と共に生きる事が「有能」であると言います。
M.ルターの奥さんは、カテリーナ・フォン・ボラという人です。彼女は良妻とも悪妻ともいわれます。人々の記憶に残る働きをし、影響を与えた人だったのでしょう。だから、いろいろな伝説がのこり、人々が言い伝えてきたのだと思います。性格的には激しい人だったので悪妻などと揶揄されたのでしょう。しかし、最近発掘されたルターの家の地下台所からは、その生活ぶりや多くの人々の世話をしたカテリーナの働きの大きさがわかってきました。
私が感銘をうけた逸話は、ルターが宗教改革の動きに行き詰って塞ぎこんでいいた時、カテリーナが部屋に喪服をきて部屋にやってきます。ルターは「誰か天に召されたのか」と聞きます。すると彼女は「あなたのイエスさま・キリストが死んでいます」と言いました。ルターはハッとさせられ、それから宗教改革をより強く推進していくことになったという話です。カテリーナは、ルターにとってかけがえのない存在でした。
箴言は「彼女は生涯の日々、夫に幸いはもたらすが、災いはもたらさない」と言います。これは妻だけのことではなく、夫も同じだと思います。お互いが神様を中心として結びあっているならば、そこには幸いがあります。夫婦関係だけでなく、家族でも、職場でも神様を中心として共に生きることの大切さを思います。
2019年2月26日火曜日
「預言と予言は違う」
クレヨン牧師のミニエッセイ
「預言と予言は違う」
プロ野球日本シリーズが始まり、いつもは見ないプロ野球放送を観戦しています。なかなか面白い試合内容です。ヤクルトが絶対有利との予想とは違い、ライオンズの健闘ぶりがなかなかです。最終的には投手力が決め手かな、などといっぱしの解説者きどりでみています。(これは月曜日の文章ですが・・・)
さて、このプロ野球でもサッカーでも相撲でもそうですが、必ずシーズン前には解説者の予想というものがあります。しかし、当たったためしがありません。今回のプロ野球にしても、この両チームが優勝するなんて予想した解説者はいないのです。それは、サッカーでも相撲でもそうです。しかし、なぜ当たらないのかということを考えてもみませんでした。きっと、人間の考えだからだと思います。
私たちは未来がどうなるか、知りたくてたまりません。予想、予言のたぐいはこの世には氾濫しています。もちろん聖書の中にもあります。私たちの未来はどうなっていくかなど・・・。しかしそれは「預言」なのです。つまり神様の言葉を預かって人が語ることなのです。
人間の考えだけでは未来の確かな予想などできないのです。そこには自分勝手な考えだけしかあらわれてこないのです。主イエスは「わたしの言葉は廃れない」と言われました。未来を不安に感じるよりも、いま主イエスの御言葉に立ちたいと思います。
「預言と予言は違う」
2019年2月25日月曜日
「小さな存在の中に知恵」
阿久根ルター君の朝のみ言葉
「小さな存在の中に知恵」
箴言 30:25 蟻の一族は力はないが、夏の間にパンを備える。
六日市集会への道には蛍の道があり、蛍がたくさんいます。ローマ・カトリックの祈りで「蛍の祈り」というものがあります。
「神様。ほんの少しだけ あなたの光りを 遠ざけてくださいませんか?
わたしはこんなに小さい 消し炭みたいなものですから
どうしても 夜がこないことには・・・
闇の中なら わたしの心は勇気をふるって
希望の星をほのかにきらめかせるでしょう。
そして どんな貧しさの中にひそむ この小さなよろこびを
人々の心に伝えることができるでしょう」
ひとつの蛍の光りはちいさいものですが、多くなれば山全体がクリスマスツリ-となります。
箴言30章は「アグルの言葉」となっています。しかしこのアグルという人物が何者で、どこまでがアグルの言葉なのかはっきりしません。冒頭には「神よ、わたしは疲れた。神よ、わたしは疲れ果てた」とアグルは言います。アグルが神様の知恵を探し求めたが、結局はわからなかったということです。しかし、神様が作られた小さな存在の中に「知恵」を見つけたということでしょうか。
「黒い絨毯」という映画がありました。アマゾンを舞台にした、恋愛映画のような不思議な物語でした。アマゾンで農地を開拓し大金持ちになった主人公が、アマゾンにいる蟻と戦ってすべての財産をなくすというストーリーでした。その蟻の描き方は、1匹から始まって最後には全てを食いつくす集団として出てきます。山中に広がった様子が「黒い絨毯」と呼ばれていました。この蟻は、実存するらしいのですが、まずは1匹の偵察蟻が集落に紛れ込みます。そこに食べ物があれば数日後には何百万・何千万の大群となって押し寄せてきます。そして財産を食いつくされる。映画は、主人公の男性がこの蟻と戦い全てを無くすが、最後に奥さんに言うのです。「あなたに与えるものは愛しか残らなかった」と。
箴言は「蟻」「岩狸」「いなご」「やもり」という小さな存在のなかに「知恵」を見ています。どんなに小さな集団であっても、そこに「知恵」があれば、大きな存在となるのです。神様はそのような「知恵」をすべての人に与えておられます。私たちも小さな存在かもしれませんが、そこに神様からの「知恵」があるとき、その働きは神様の働きとして大きなものになると教えられます。
2019年2月24日日曜日
2019年2月23日土曜日
2019年2月22日金曜日
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