ラベル 写真 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 写真 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2025年8月31日日曜日

8月31日の礼拝のご案内

2025年8月31日(日)10:30より11:30

聖霊降臨後第12主日礼拝

熊本のルーテル健軍教会の礼拝のYouTube配信を通して礼拝をいたします。


【聖書】

第1の朗読 箴言         25:6-7a(旧約p.1024)

第2の朗読 ヘブライ人への手紙  13:1-8,15-16(新約p.418)
福音の朗読 ルカによる福音書   14:1,7-14(新約p.136)

【説教】「 お返しはいりません 」  安井宣生

 
【讃美歌】教会讃美歌です
 集いの歌  188番 わがたま喜び
 み言葉の歌 347番 きよき心
 派遣の歌  263番 聞こう、み言葉を

------------------------------------------------------------------------------------------------

よくぞ耐え、再び生きる力を漲らせて立ち上がってくれたものだと思う。樹齢500〜600年といわれる大木は時間の経過と原爆による衝撃を受け、傷や穴も抱えながら、触れる人の手を受け続けていた。『クスノキ』に歌われる「生命の叫び」を静かに示して。
 牧師 安井宣生


------------------------------------------------------------------------------------------------


2015年9月8日火曜日


 
出水市「ばんぶー」のあじさい                                          小山 茂 
 六月中旬に出水市で、雨空の中どこに行けばいいか迷っていたら、東山ご夫妻に地元を案内してもらいました。小高い丘にある「ばんぶー」という家庭料理店の庭、その紫陽花(あじさい)が見頃で解放されていました。
 
 
 傾斜地に植えられた紫陽花は、竹林を背景にして、前に出水市街が広がります。遠くには鶴の飛来地の田畑が見え、北側に不知火海まで臨めます。雲が低く垂れこめていましたが、待っていると切れてきました。やはり、梅雨の季節に一番元気なのは、紫陽花です。ガクアジサイにこんなに種類が多くあるとは知りませんでした。その折に撮影しました写真を載せましたのでご覧ください。 

 以前は尻無浜紀美子姉が西出水の老人ホームにいらっしゃった頃、毎月この地を訪れていました。姉妹が天に召されてから、あまりこの地域に足を伸ばすことが無くなりました。ですから、久しぶりで出水を訪れました。
 
 




 

   「冠岳周辺は桃源郷かもしれません。」              小山 茂

 いちき串木野市に「冠岳歴史自然の里」があります。この麓を何度も車で通って、川にかかる木製の橋を写真に撮り月報に載せたことがありました。薩摩川内北中学にギデオン聖書贈呈を早朝終えた帰り、冠岳を山歩きしたいと思って寄りました。予想以上に広く豊かな自然に驚き、その一部を散策するだけで終わりました。串木野ダム・冠岳花川砂防公園、冠岳展望公園だけを見て、山歩きは次の機会に取っておくことにします。

 冠岳と呼ばれる由来があります。「東海に蓬莱の島あり、その神仙から不老不死の霊薬を求めよ。」今から約2200年前、中国の秦の始皇帝から命を受けた方士(神仙道の使い手で、不老不死の研究家)徐福は、串木野の冠岳を訪れ、その景色の素晴らしさに、自らの冠を解いて頂上に捧げたそうです。そのことから、この地を冠岳と呼ぶようになったとの説があります。徐福伝説は鹿児島県串木野市を始めとして、佐賀県佐賀市・三重県熊野市・和歌山県新宮市・山梨県富士吉田市など、日本各地にあります。《いちき串木野市のパンフレットから一部引用》
 
 訪れた「(かん)(がく)(えん)」と呼ばれる中国庭園は、独特な中国の雰囲気を漂わせる見事なものでした。建物の屋根の先端の瓦は跳ね上がり、橋にはふんだんに彫刻が施され、池には大きな鯉が泳、中国風の趣に溢れていました。八角形の建物の中には書や家具や刺繍絵など、国内では見られないものでした。平成44月に徐福の故郷中国との友好交流の願いを込めて、中国の専門家のアドバイスを受けて造られたそうです。庭園の様式は「自然式山水庭園」で、明や清の時代に多く造られた中国庭園のメッカである蘇州近傍の庭園の形をモデルとしているそうです。
 
 庭の掃除をされていた方から聞きますと、その下に「花川砂防公園」も造られ、竹下内閣のふるさと創生事業の一億円がその整備に使われたそうです。公園の中にあるトイレの立派なのには驚きました。白を基調として外の空間を取り入れ、開放的な気持ち良さに長居をしそうでした。私が体験したトイレの中で、最も素晴らしいものでした。平日の昼間に訪れたのに、私の他に親子連れがひと組いただけでした。皆さん是非この地域を一度訪れてみませんか。森林浴に、ハイキングに、近くに「冠岳温泉」、産直野菜の販売、うどん屋さん、カフェもあります。私もリピーターになりたいと思っています。
 
 
冠嶽園の中庭

蓮苑とハスの花

花川砂防公園のせせらぎ水路
 
徐福像

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

  

2015年6月2日火曜日


「藤川天神の臥竜梅」                              小山 茂 

 春が来たと感じられるのは、やはり梅の花と香りが一番です。この季節になると、薩摩川内の「臥竜梅」がしばしばTVや新聞に取り上げられます。臥竜梅とは竜が地面を這うような枝ぶりから、つけられた名前です。菅原道真が密かにこの地に逃れて、手植えされた株が増えて梅林となったと伝えられています。TVニュースで地元の小学生たちが、梅林を訪れて俳句を詠む様子を見ました。一度訪れてみたいと思っていたので、35日に鹿児島市から車で1時間余り走りました。近付くにつれあちらこちらに、梅の花をつけた木々を見ることができました。 

 平日の昼に地元の方々が大勢訪れて、観梅を楽しんでいました。参道を進むと覆うように咲く河津桜の枝に、メジロが蜜を吸いに多数群れていました。カメラを構えるのですが、その動きの素早さについていけません。それでも下手な鉄砲数撃てば当たるで、その姿を何枚か捉えることができました。最終頁にある右側上から2枚と左側上の写真は河津桜で、その他の写真は梅です。境内に地元の名産を売っている出店があり、大宰府の天満宮で有名な、「梅が枝餅」を売る店もありました。試しにひとつ食べたところ、餅の食感とあんこの程良い甘みでした。 

 また、珍しい犬の銅像を境内に見つけました。西郷隆盛の愛犬「ツンの銅像」が、神社参道の脇にありました。東京の上野公園に、犬を連れた西郷隆盛の銅像があります。西南戦争で賊軍の将である西郷隆盛の銅像を作るにあたり、軍服ではなく浴衣姿に犬を連れた姿ならと配慮されたものだそうです。西郷隆盛が藤川天神を参拝した折、東郷町藤川の前田善兵衛が飼っていた、うさぎ狩りのうまい猟犬「ツン」を見つけました。西郷どんが望んだので献上された犬を喜ばれ、金二十貫を与えたそうです。NHK大河ドラマ「翔ぶが如く」の放映を機に、平成2年に作られた銅像で、鹿児島在住の文化勲章作家中村晋也氏によるものです。

 



河津桜に蜜を吸うメジロ
 

ツンの銅像〔中村晋也氏作〕


2014年7月31日木曜日


『細川ガラシャについて』                                  小山 茂 

 十年ほど前に大阪にあるカトリック玉造教会で、二つの白い彫像を見ました。大聖堂前広場の両端にある高山右近と細川ガラシャ夫人の石像です。キリシタン大名と細川忠興の妻である玉子、二人は日本における初期のキリスト者として生きた人でした。その玉造教会の西北には、かつて細川家の屋敷があったそうです。2月中旬に熊本で教区の集まりがあり、3時間程時間の余裕がありました。ホテルのガイドブックを見て、立田自然公園に細川ガラシャ夫人の墓があると知り行ってみました。熊本大学の裏手、細川家の菩提寺泰勝寺跡がその場所でした。「四つ御廟」といって、細川家初代藤孝夫妻と二代目忠興と細川ガラシャ夫人の墓が、4つの屋根のお堂の中にそれぞれありました。細川ガラシャ夫人の墓石には、「秀林院」という名が刻まれていました。どなたかが拓本をとろとして、墓石に直に墨を塗った跡がありました。外側には玉造の屋敷にあった手水鉢で、亡くなる前それを鏡にして身なりを整えたとの説明がありました。 

夫の忠興は千利休の弟子であったそうで茶の湯に造詣が深く、オシドリのいる溜池と杉木立に囲まれた苔むした庭「苔園」があり、侘び寂を感じさせる茶室「仰松軒」があった。鬱蒼とした竹林は京都の嵯峨野のようで、曇り空のせいか少し寂しい感じがしました。今は市に寄贈され熊本県指定重要文化財になり、立田自然公園として管理されています。 

 ご存じかも知れませんが、細川ガラシャは名を玉子といい、織田信長の仲立ちで細川忠興に嫁ぎ、父明智光秀の謀反により別居を余儀なくされました。後に豊臣秀吉の計らいにより、夫と同居を許された屋敷が大阪の玉造〔かつての大阪城内〕にありました。関ヶ原の戦いの直前、東軍に味方する大名を封じるため、石田光成は妻子を人質にとろうとしました。玉子は押しかけてきた大阪方の兵士を拒み、使用人すべてを逃がして、家屋に火を放ち家来に介錯を命じたそうです。その折の辞世の句を、「散りぬべき 時知りてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ」と詠みました。玉子38歳、それは波乱に満ちた生涯でした。悲劇のヒロインとして、幾つもの小説が書かれました。司馬遼太郎や三浦綾子さんも書かれています。細川ガラシャの墓は、大阪や京都にもあるそうですが、熊本にある墓は忠興の亡くなった後に作られたそうです。墓には「秀林院」という名前が記され、教えられなければ細川ガラシャの墓とは気がつきません。墓が熊本にないことを不憫に思い、忠興の隣に作ったものなのでしょう。 

                  ガラシャ夫人の手水鉢
 
ガラシャ夫人の墓                   墓を覆う廟