「神様のベット」
クレヨン牧師のミニエッセイ
「神様のベット」
幼子の寝顔はやっぱり平和だなとしみじみ思います。
先日、愛美と昼寝をすることになりました。同じ布団に入り枕を並べて、しかも手を握って昼寝をせねばならなくなったのです。たぶん三番目がで来たことで甘えん坊になったのでしょう。
さて、横にいて違うことを考えていました。「人間が眠る瞬間とはどのような時だろうか」とふと思ったのです。そこで愛美が眠る瞬間を見てやろうと薄目を開けて眺めていました。ところが眺めているうちに、私の方が寝てしまったのです。あまりにも平安に満たされた顔をしていたので、私の方が先に安心しきってしまったようです。
「平安」とはいったい何でしょうか。それは幼子の寝顔そのものだといえます。私たちの寝顔もそうかもしれません。なぜならば、本当に安心しきってないと充分に眠ることができないからです。幼子たちが私たちに教えてくれる平安とは、すべてを委ねきった安心感でしょう。
私たちはどこにいても、いかなる状況でも神様の懐という一番安心できるベットを持っています。それだけでも幸せです。