2018年5月7日月曜日

「ありがとうを返す」

阿久根ルター君の朝のみ言葉

「ありがとうを返す」

ヨハネ 3:16 神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された。

ある本の中の言葉です。「JRの駅のトイレに入った。用をたす。その目の前に貼り紙があった。《汚さないでください》といった注意書きではなかった。それでいて、何となくきれいに使いたくなる貼り紙だった。その内容は・・・。《きれいに使って頂いてありがとうございました》」。さて、私たちのまわりには《否定語》を使うことが多々あります。自分のことを反省してみると、子供にたいしてなんと否定語が多いことかと、がっかりします。注意や禁止を告げる言葉も、言い方によっては人を傷つけずにすむものです。本当に愛のある言葉は人を癒すのです。

 ヨハネ福音書の中で、最も有名な箇所です。たいてい好きな聖句のトップにこの聖句が上げられます。神様が、独り子であるイエス様を十字架の死に渡してまで、私たちを愛してくださったのです。私たちの罪を赦しあがなうためです。「たち」というより、これを読む人は「私」と置き換えます。こんな私のために、神様がそこまでしてくださったことに感謝するのです。

 会話の中でよく聴く言葉があります。「すみません」という言葉です。本来「ありがとう」と言うところで、「すいません」といいます。何も悪いことはしていないのに謝っているように聞こえます。しかし、ある仏教のお坊さんの解釈を思い出しました。「すいません」という言葉は、「私」はこれまで多くの人、出会い、物、大自然のおかげで今日まで生きてくることができた。しかしそれに対して何一つ恩返しができていない。つまり「すみません(申し訳ない)」という気持ちを表した言葉ですと。あなたからの恩になにも返せなくて「すみません」ということです。

 神様から私たちが頂いたものを数えることができません。(あまりにも多くて)イエス様の命までも頂いたのです。神様に何を返していけばいいのでしょうか。いや、返すことを神様は望んでおられないと思います。「ありがとう」と感謝して受け取ればいいのです。そして、頂いた恵みを隣人と分かち合い、「あなたも神様から愛された存在ですよ」と伝え、隣人に仕えることが「すみません」の言葉、それが本当の生き方だといえます。

2018年5月6日日曜日

礼拝へどうぞ

本日は、吉谷正典牧師(引退牧師)のメッセージです!

2018年5月5日土曜日

聖霊降臨日「教会誕生祭」

今年はテレビ中継礼拝です。
小学生ギタリスト・高校生による絵本朗読があります。

2018年5月4日金曜日

きままな休日・串木野のマグロ

串木野のみなみマグロ
いつ行っても食べられなかった2色丼
今回初めてゲットしました。人気ですもんね。
マグロ祭りやっていました!

2018年5月3日木曜日

見極め失敗

クレヨン牧師のミニエッセイ

「見極め失敗」
 
 恒例になったともいえる、一年一度の大風邪ひきが、今年はこんなにも早くやってくるとは思いませんでした。先週の月曜日の朝から「ちょっと体調が変だな」と思っていました。しかし、大阪へ出掛けたのがそもそもの間違いだったのです。 火曜日から発熱。ついでに牧師の大切な喉をやられました。それでも、金曜、土曜と結婚式があるので、それまでになんとか立ち直ればと考えていたのは甘い考えでした。日を過ぎれば過ぎるほどひどくなる。喉のために、ネギを巻いたり、アラジオを巻いたり。カリンをなめたり、ネギを煎じてうがいしたり。民間療法のありとあらゆる手と、薬局の薬を飲みまくりました。ところがそれでもだめでした。木曜日の深夜、「ああ火曜日に医者に言ってればよかった」と改めて思いました。
 
 私たちには自分で何とかできるものと、自分ではどうにもできないものがあります。その見極めを失敗するとこうなるのだと教えられました。やっぱりおかしいなと思ったら医者にいくべきですよね。
 
 そしてもうひとつ。牧師にとって声がいかに大切かを知らされました。声が出ないということは、ほとんどのことができないことがわかりました。結婚式も、電話相談も、はたまた子育ても。これからはノドをいたわりつつ、この声を与えられていることに感謝したいと思います。 

2018年5月2日水曜日

「たった一言で」

阿久根ルター君の朝のみ言葉

「たった一言で」

マタイ  8:8 百人隊長は答えた。「主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ただ、ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます。

お寺の前を通るとき、よく掲示板をみます。たいていは墨字で達筆にかかれてあります。あるとき旅行中に小さなお寺を見つけました。そこには大きな字で次のように書いてありました。「たった一言が、人の心を傷つける。たった一言が、人の心を温める」と。言葉というものには力があります。たった一言の力だと思います。その使い方によって、人を傷つけるし、癒すこともできるのです。この言葉の力をもっと考えていかないといけないのです。

イエス様のもとに「百人隊長」がやってきて懇願するという出来事です。たったこれだけでも凄いことです。百人隊長はユダヤ人を支配し、命令する立場にあります。またユダヤ人は百人隊長を異邦人として忌み嫌って近づこうとしないからです。そんな関係がある者が、出会うのです。そして、イエス様に百人隊長の方から部下の「いやし」を懇願したのです。その中に「ただ、ひと言」という言葉があります。

ある本でみつけた話です。「96年のことである。46日間漂流して奇跡的に助かった漁師がいる。沖縄の人である。当時67歳。軽い脱水状態だったが、生命には別状がなかった。取材記者に救出の模様を語っていた。しめくくりの言葉が凛として見事だった。『これからまた漁にでますか』二コリともせずに答えた。『わしは漁師だからね』と」。もうひとつ。「ある自転車愛好家がいる。といっても、並の愛好家ではない。南北アメリカ、欧州、アジア、アフリカ、オーストラリアの80ヶ国を走破した人である。走行距離は13万7千キロ。六年半かかったそうである。日本に無事帰ってきて、旅の感想を聞かれた。そのときのひとことが、私たちに勇気を与えてくれる。『自転車乗りは上り坂を目指すんです。坂道はきついが、頂上はかならずあるんです』と」。人生の中で見つけた一言はとても重い言葉です。

 百人隊長は、イエス様がどんな方で誰であるかを本当にしっていたかどうかわかりません。しかし、そのみ言葉の力は信じていました。言葉には力があります。

2018年5月1日火曜日

無条件に笑う

クレヨン牧師のミニエッセイ

「無条件に笑う」
 
 我が家の三女・聖美も5ケ月を迎えることができました。多少、人見知りはするものの、元気で過ごしています。
 
 さて、聖美の笑顔の研究をしてみました。どんな時に笑うか。どんな人に笑いかけるか。どんな風に笑うか。などと楽しんで観察してみたのです。すると結果は、「どんなときでも笑うのだけれど相手による」でした。とにかくニコニコしている人に抱かれたり、あやされたりすると笑うのです。赤ちゃんは無理やり笑わせようとしてもだめです。自分からほほ笑みかけていったときに初めてほほ笑むということがわかりました。
 
 ところが、無条件に笑う相手もいます。それはお母さんです。これはいつでも無条件に笑いますし、その笑顔の質が全然違うことも明らかです。同じ屋根の下に住んでいても、お母さんに対してだけは格別の笑顔をみせるのです。それくらい信頼、安心してすべてをまかせているということでしょうか。
 
 私たちは神様に対して祈るとき、どんな顔をしているのでしょうか。つらく苦しい顔でしょうか。それとも輝く笑顔でしょうか。私たちはなかなか笑顔では神様の前に立てません。それは自分を隠そうとしているからでしょうか。すべてを捧げて安心できる関係ならば、やはりどんなときでも笑顔で祈れるような気がします。