2018年7月5日木曜日

「マナー欠如」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「マナー欠如」
 
 ある信徒の方から、教育部長あてに一冊の本が送られてきました。その本とは「ビジネスマナー・ポイント集」です。手紙には、「この本、役に立つよ。牧師はマナーと常識が大切です」と書かれていました。
 
 実は、牧師の常識のなさ、マナー欠如が深刻な問題なのです。はじめのころは、宗教家たるもの《非常識のなかの常識》こそ大切だと思っていました。神様のみことばを伝えることはそれ自体で非常識の中にあると思っていたのです。ところが、信徒の皆さんがおっしゃる《常識》とはレベルが違うことに気がついたのです。皆さんが問題にされる《常識》とは、人が生きる上でのマナーの欠如ということなのです。
 
 牧師補研修会で「あいさつ」「電話のかけかた」「言葉のかけかた」「みだしなみ」「お茶のだしかた」「言葉使い」「手紙の書き方」「依頼の仕方」など習わなければならないほどマナー欠如というわけです。どうしてなんでしょうか。 主イエスの言葉に「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になりなさい」というものがあります。若くして教区常議員、伝道セミナー委員長など与えられて思うことは、そのような立場になったら仕えざるをえないということです。牧師とはどんな立場なのか、それを一人一人の牧師が考えはじめたときマナー集などいらなくなるのでは・・・。