「何を願っているのか」
クレヨン牧師のミニエッセイ
「何を願っているのか」
何を思ったのか、次女が「そろばん」に通い始めました。いまのところはとても楽しそうに通っています。たぶん幼稚園のお友達が「そろばん」を楽しそうにしているので、自分も行きたくなったのでしょう。
ところが、姉にとっては、妹が「そろばん」に行くのは面白くない。そこで、納得させるまでが大変な騒ぎとなったのです。理由は簡単なことなのです。「自分より妹が計算できるようになるのがゆるせない」というものです。妹だけには、どれもこれも負けたくないらしいのです。姉としてのプライドでしょうか。
そこで次女は説得にかかりました。「お姉ちゃんは、ピアノ、英語、スイミング、習字をやっている。私は英語だけだからずるい」と。いろいろ話し合ったあげくの結論が愉快でした。まず姉にそろばんに行く気持ちがあるかを聞きました。もちろん負けたくありませんから、行くといいました。ところが、自分のスケジュールを考えて、これ以上に別の教室にいくと遊ぶ時間がないことにはたと気が付いたのです。そこで、「遊ぶ時間がいるから、行かない」ということで決着したのです。
主イエスは「あなたがたは、自分が何を願っているのか分かってない」と言われました。自分の首を締めていくのは、自分の勝手な願いかもしれません。