2015年9月8日火曜日


 
出水市「ばんぶー」のあじさい                                          小山 茂 
 六月中旬に出水市で、雨空の中どこに行けばいいか迷っていたら、東山ご夫妻に地元を案内してもらいました。小高い丘にある「ばんぶー」という家庭料理店の庭、その紫陽花(あじさい)が見頃で解放されていました。
 
 
 傾斜地に植えられた紫陽花は、竹林を背景にして、前に出水市街が広がります。遠くには鶴の飛来地の田畑が見え、北側に不知火海まで臨めます。雲が低く垂れこめていましたが、待っていると切れてきました。やはり、梅雨の季節に一番元気なのは、紫陽花です。ガクアジサイにこんなに種類が多くあるとは知りませんでした。その折に撮影しました写真を載せましたのでご覧ください。 

 以前は尻無浜紀美子姉が西出水の老人ホームにいらっしゃった頃、毎月この地を訪れていました。姉妹が天に召されてから、あまりこの地域に足を伸ばすことが無くなりました。ですから、久しぶりで出水を訪れました。
 
 




 

   「冠岳周辺は桃源郷かもしれません。」              小山 茂

 いちき串木野市に「冠岳歴史自然の里」があります。この麓を何度も車で通って、川にかかる木製の橋を写真に撮り月報に載せたことがありました。薩摩川内北中学にギデオン聖書贈呈を早朝終えた帰り、冠岳を山歩きしたいと思って寄りました。予想以上に広く豊かな自然に驚き、その一部を散策するだけで終わりました。串木野ダム・冠岳花川砂防公園、冠岳展望公園だけを見て、山歩きは次の機会に取っておくことにします。

 冠岳と呼ばれる由来があります。「東海に蓬莱の島あり、その神仙から不老不死の霊薬を求めよ。」今から約2200年前、中国の秦の始皇帝から命を受けた方士(神仙道の使い手で、不老不死の研究家)徐福は、串木野の冠岳を訪れ、その景色の素晴らしさに、自らの冠を解いて頂上に捧げたそうです。そのことから、この地を冠岳と呼ぶようになったとの説があります。徐福伝説は鹿児島県串木野市を始めとして、佐賀県佐賀市・三重県熊野市・和歌山県新宮市・山梨県富士吉田市など、日本各地にあります。《いちき串木野市のパンフレットから一部引用》
 
 訪れた「(かん)(がく)(えん)」と呼ばれる中国庭園は、独特な中国の雰囲気を漂わせる見事なものでした。建物の屋根の先端の瓦は跳ね上がり、橋にはふんだんに彫刻が施され、池には大きな鯉が泳、中国風の趣に溢れていました。八角形の建物の中には書や家具や刺繍絵など、国内では見られないものでした。平成44月に徐福の故郷中国との友好交流の願いを込めて、中国の専門家のアドバイスを受けて造られたそうです。庭園の様式は「自然式山水庭園」で、明や清の時代に多く造られた中国庭園のメッカである蘇州近傍の庭園の形をモデルとしているそうです。
 
 庭の掃除をされていた方から聞きますと、その下に「花川砂防公園」も造られ、竹下内閣のふるさと創生事業の一億円がその整備に使われたそうです。公園の中にあるトイレの立派なのには驚きました。白を基調として外の空間を取り入れ、開放的な気持ち良さに長居をしそうでした。私が体験したトイレの中で、最も素晴らしいものでした。平日の昼間に訪れたのに、私の他に親子連れがひと組いただけでした。皆さん是非この地域を一度訪れてみませんか。森林浴に、ハイキングに、近くに「冠岳温泉」、産直野菜の販売、うどん屋さん、カフェもあります。私もリピーターになりたいと思っています。
 
 
冠嶽園の中庭

蓮苑とハスの花

花川砂防公園のせせらぎ水路
 
徐福像

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

  

「さあ、朝食を摂りなさい。」     ヨハネ福音書21:1~14 小山 茂 
 
《復活を信じるか》
 主イエスが復活されたことを、あなたは信じられますか?それはキリスト者にとって、大きな問いかけです。その問いかけの中にあって、私たちの信仰は順風の時があれば、逆風の時もあります。今朝の福音書は、かつての弟子たちが、自分たちの信仰が揺さぶられ、意気消沈した時どうしたのか、そのことが聖書に記されています。筆頭弟子のペトロが登場して、いかにも彼らしい驚きや慌てぶりの中、本人は一生懸命になっているのに、傍からはどこかユーモラスに見えます。私たちの復活信仰に、弟子たちの姿を通して、今一度向き合って参りましょう。

 主イエスの復活を信じることが、弟子たちに確かになるまで、まだ時間が必要でした。頭で考えても分からないからです。この世の知恵や常識を総動員しても、分からないからです。復活されたイエスを、私たちも素直に信じられない、それが当たり前なのかもしれません。弟子たちが右往左往する様子からも、うかがい知ることができます。復活されたイエスは何度も弟子たちに現れ、彼らを力づけ励まされます。彼らは迷いながら、疑いながら、一歩また一歩少しずつ進みます。時には一歩前進、二歩後退かも知れません。復活されたイエスが繰り返し現れなければ、弟子たちは信仰を投げ出してしまったでしょう。主イエスもご自分を信じる者が、一人も滅びることなく、永遠の命を得られるよう、諦めず最後まで導かれます。 

《復活されたイエス》
 今朝の福音書に入って参りましょう。ヨハネ福音書21章は、後から書き加えられた付録です。おまけだから、意味がないという訳ではありません。聖書の正典として認められ、今朝の箇所からも福音が語られています。復活されたイエスは、ティベリアス湖畔で、弟子たちに姿を現されます。ティベリアスと言うと、どこか馴染みのない地名ですが、ガリラヤ湖の西岸にあり、皇帝ティベリアスに因んで付けられた町の名です。ガリラヤの首都であり、湖もその名で呼ばれましたが、ユダヤ人たちローマへの配慮を嫌らいました。聖書の中に「ティベリアス」と記されているのは、ヨハネ福音書に三度だけです。ですから、ティベリアス湖をガリラヤ湖と読み換えて、馴染んだ地名を用いても構わないでしょう。

 主イエスが十字架につけられた時、弟子たちはこの方から散らされていました。「あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする時が来る」《16:32》と主から言われた通りになりました。復活されたイエスが、弟子たちに現れたのは、今回で三度目です。最初にマグダラのマリアに現れましたが、彼女を主イエスの弟子として回数に加えたかどうか分かりません。直弟子に現れたといえる一度目は、ユダヤ人たちを恐れて、彼らは家に引きこもり鍵をかけていました。主イエスは彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われました。二度目は主の傷跡を確認しなければ信じない、と言い切ったトマスに現れ、「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と言われました。そして、今朝の福音が三度目で、ガリラヤ湖畔に復活されたお姿を弟子7名に現されます。 

 ガリラヤ湖に、ペトロ・トマス・ナタナエル・ゼベダイの子たち二人、他に二人の弟子の計七名がいます。共観福音書によると、かつて漁師であったペトロは、この時何をしていたのでしょうか。もしかすると宣教するのを諦めて、以前していた漁師に戻ろうと思ったのかもしれません。ペトロは、「わたしは漁に行く」と言いますと、他の6名も「わたしたちも一緒に行こう」と同調します。彼らは舟に乗り込んで、湖に一晩中網を打ちましたが、何の収穫もありません。夜が明けて来て、岸に復活されたイエスが立っておられます。でも、彼らはその方がどなたか分かりません。信仰の目で見てはじめて、見えてくるものがあります。それだけ彼らの信仰が、揺れていたのではないでしょうか。 

《朝食を摂りなさい》
 復活されたイエスが尋ねます、「子たちよ、何か食べる物があるか。」彼らから「ありません」と返されます。すると主が言われます、「舟の右に網を打ちなさい。そうすれば獲れるはずだ。」言われた通りにすると、余りにも多くの魚が網にかかり、もはや引き上げることができません。その時です、愛弟子がペトロに「主だ!」と叫びます。ペトロはその声を聞くやいなや、復活のイエスの許に直ぐに行きたい、という衝動にかられます。死んでしまったと思っていた主イエスが、生きておられるのですから、無理もありません。裸同然であった彼は、律儀にも上着を引き被って、湖に飛び込みます。思い立ったら直ぐ行動する、いかにもペトロらしい姿ではありませんか。 

 舟に獲物を引き上げられず、90mほど網を引いて岸まで戻ります。一晩漁をしていた彼らは疲れていますが、最後に漁獲がありホッとしています。岸に上がると炭火が起してあり、魚とパンが乗せてあります。香ばしい匂いさえしてきます。この季節のガリラヤ湖の朝はかなり冷えています。暖かい食べ物は、冷えた体に何よりの御馳走です。その炭火にあたって、彼らは体を暖めたかもしれません。復活されたイエスが言われます、「今獲った魚を何匹か持ってきなさい。」さっそくペトロが舟に乗りこんで、網を陸に引き揚げます。この作業をペトロが独りで行ったのでしょうか?彼らが引き上げようとして、できずに舟で岸まで引いて来た網です。大きな魚が153匹も網にかかっていましたから、重たいのは当然でしたが、網は破れていませんでした。 

 主イエスは彼らを招かれます、「さあ、朝食を摂りなさい。」彼らは本当に嬉しかったでしょうね。主イエスが生きておられる、そして自分たちに朝食を用意され、迎えてくださるのですから。彼らは自分たちが手伝った、あの五千人の給食を思い起こしたことでしょう。亭主のイエスが、客人の群衆に心からの食事を提供する、それは「究極のおもてなし」でした。その時と同じように、主イエスが自らの手で、彼らにしてくださったのです。主イエスが「来て、パンを取って弟子たちに与えられ、魚も同じように」与えられます。魚とぶどう酒の違いはありますが、どこか聖餐の設定の言葉に似ています。弟子たちは主イエスと共にした、最後の晩餐を思い起こしたことでしょう。パンと魚をどうぞと差し出されたことによって、主イエスと弟子たちのわだかまりが解かれました。彼らは逃げ出した後ろめたさから、主イエスに顔向けができなかったからです。 

《朝食を摂りなさい》
 夜通しの漁をした直後なので、弟子たちは空腹であり、体は冷えて疲れていました。ですから、「さあ、朝食を摂りなさい」という招きの言葉が、彼らにどれほど心と体に沁み渡ったことでしょう。主イエスとの再会を果たしたことから、彼らがこのお方から逃げた罪は赦され、宣教へと再び派遣されます。主イエスと共に摂る食事を通して、彼らの共同体が再び形成されました。復活信仰の始まりは、主イエスの方から、弟子たちに、私たちにも働きかけてくださいます。 

 森野善衛門師がそれを、このように言われます。「信仰とは、まず私たちが努力をして、主を喜ばせ、主のために食卓を用意することではなく、それに先だって、主が私たちのためにパンと魚とを用意して招いてくださる。その招きに応じることから始められるのです。」私たちが信仰するというより、主が信仰を与えられるチャンスをくれます。私たちに求められることは、その招きに素直に応じることだけです。
 
 今日の阿久根での礼拝は、この後に聖餐式があります。主イエスの体であるパンとその血であるブドウ酒をいただきます。復活されたイエスは、弟子たちだけでなく、私たちも招かれます。「さあ、朝食を摂りなさい。」そして、主イエスは来て、パンを取り感謝の祈りを唱えて、私たちに与えられます。また、ぶどう酒も同じようにして、私たちに与えられます。そのようにして、私たちは阿久根教会、鹿児島教会において、聖卓に集う交わりから、教会共同体に迎え入れられます。私たちが疲れ果てた時こそ、復活のイエスから『さあ、朝食を摂りなさい』と招かれています。あなたは素直に、その招きに応じるだけでいいのです。