2019年10月22日火曜日

「ビア・ドロローサ」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「ビア・ドロローサ」
 
 エルサレムには、キリスト教のエッセンスが凝縮していると感じることがあります。ところが、主イエスがエルサレムで過ごされたのは、わずか1週間にすぎないのです。しかし、ここにと思えるのは、そこで十字架の出来事があり、また復活が起こったということなのです。
 
 エルサレムの旧市街に、ビア・ドロローサ(悲しみの道)という道路があります。主イエスが死刑の判決を受けて、ゴルゴタの丘まで十字架を背負って通られた道です。ここには今もなお、多くの巡礼者でごった返しています。エルサレムでは一番の人気の場所です。キリスト者の多くがここを歩いてみたいと思っています。またここに自分の手で触れてみたいと思っているようです。そういう私も触れてきたのですが。
 
 また、ビア・ドロローサを通って、聖墳墓教会(ゴルゴタの丘があったところ)へ向かいます。いまもなお主イエスの十字架が立てられた穴(いまでも触れることができるので、ツルツルになっていますが)と、おさめられた墓が残っています。驚かされるのはその聖墳墓教会の石の門柱に、十字架がたくさん刻まれていることです。中世から人々はここをめざして、死の危険にさらされながらやってきます。そして、たどりついたしるしとして十字架を刻むのです。その数やものすごい数でした。
 
 どうして、人はここにやってくるのでしょうか。ここへきて何を思うのでしょうか。それはやっぱり「私の罪のために」ということでしょう。そのあとは感激で言葉がでないのですが・・・。