2019年10月1日火曜日

「雪の日の青空」



 クレヨン牧師のミニエッセイ

「雪の日の青空」
 
 火曜日の夜から降り続いた雪が、平和大通りを真っ白にしてくれました。あらためて冬なんだと思わされました、雪のため交通はマヒし、寒さに震えました。ところが、子どもたちときたら大喜びではしゃぎ回っておりました。犬はよろこび庭駆け回りではなく、子供は喜び庭駆け回り、牧師はパソコンで暖まる。
 
 さて、長女・華美が雪をみて教えてくれました。「雪っていうのは、埃がないと雪にならんのよ。埃に雪の結晶がくっついて降ってくるんよ」と。そういえば雪を食べると埃の味がしますよね。始めて教えられました。雪がやんだ日の青空が美しいのは、雪が空中の埃を全部とってくれているからですね。あの雪の日の青空が私は大好きです。
 
 私たちの信仰もまた、あの雪の日の青空のごとく澄み切っていたいものです。しかし、なかなかそうはいきません。澄み切ったと思った瞬間に、また埃まみれになってしまいます。ぬぐってもぬぐってもまた埃まみれになります。神様から離れている私たちの罪の現実がそうさせるのです。白い雪をみながら、私たちの罪も白い雪が包んでくれないかなと思います。いやいや、本当は毎日白い雪に包まれているのかもしれません。
 
 実は、教会で白という色はイエス・キリストを現しています。白はイエス様のみの色です。そうすると、私たちはいつもイエス様に包まれていますから、真っ白につつまれていることになります。ただし、雪のように冷たくはありません。